タフティの本で「気づきの中心点」がいかに重要かが書かれており、色々な動画などで「気づきの中心点」の場所について語られている。

それに影響されていたかは分からないが、私はどうやら「中心点」という場所を意識しすぎていたみたいだ。

「俯瞰する立ち位置」というのが大切であってフィジカル的にどの部分から観ているのかはあまり意識しなくてもいいと今は思っている。

逆に、どこから観るかという「場所」から探すと見つからないように思う。

前回は頭の上と書いたんだけど、それはその文字・場所に集中すると、であって私の俯瞰位置は実はそこじゃない。

タフティを知って内部スクリーンに私はかなり没頭していたのに気づいたのもあり、私は意識が上に上がりやすい。

それに気づいてからは、意識を肚(丹田)に降ろしているんだけど、初めは全然降りてこなかったのに今は肚に持ってこれている。

だからと言って癖がすぐなくなるわけじゃないから外部スクリーンに影響されて感情に任せて怒ることだってある。

そんな時に、[私は腹がめっちゃくちゃ立っている、のに気づいている]と言いながら意識を下に降ろしていく。

私は小さくなった自分が奥へ泳ぐイメージが一番しっくり来るのでその方法で下へ潜り、おへそを通り丹田へ。

おへそは潜在意識と顕在意識をつなぐ境目みたいなイメージ。

そして、丹田は身体という物質のある自分とエネルギー体である自分を繋ぐボタンのような場所らしい。

丹田に意識が着くと感情がトロッとした水に包み込まれてスーッと消えていった感覚。

私の俯瞰位置は、丹田辺りらしい、と、この時に気づく。

俯瞰において身体の外から見下ろしたり見たりが多いらしいけど私は出来なかった。身体からまず意識が出て行かない(笑)。マインクラフトやってたら分かるよと言っている人もいて、息子らがマインクラフトやってるから意味は分かるんだけど、自分でイメージ出来ない。

だからと言って出来ないから練習、じゃなくて、自分はこの場所じゃないんじゃない?って観てみるのが先と思う。

私は瞑想も内側に潜るタイプなので丹田に意識を向けるとか簡単にできる。外は、、、難しい。

中心点で苦しくなってたら、間違ってるよのサイン。リラックスできてなかったら意味ない。

英語版のタフティで「気づきの中心点」って「your center of awareness」と書いてある。

そのまんま直訳すれば、「気づきの中心点」となるんだろうけど、意識して生きる軸ってこと。要するに「自己観察できて且つ状況観察できる立ち位置」だから「自分を見て、現実を見る」って言ってるんだよね。

Control your attention。どこに意識が焦点を向けているかってのを意識できてたら「気づきの中心点」はできてるってことだよ!