スピリチュアルや自己理解の中でよく出てくる、
「思考と心」
「男性性と女性性」
って、 人によって本当にいろんな表現がある。
例えば、ハッピーちゃんは「ミセスエゴ」と「エゴキンマン」って表現してたし、 ある人は「思考=エゴ」、または「親」「母」「父」として例える。
「心」は「本当の自分(素の自分)」「子ども」「インナーチャイルド」だったり、 ハッピーちゃんはなんかのベイビーって言ってたような…(記憶はあやふやだけど笑)
でも、わたしが最近すごく感じてるのは、
“どの表現が正解か”じゃなくて、“自分にしっくりくるかどうか”が大事。
(これタフティの解説でも私が言ってること)
わたし自身、
「今この瞬間にいるのが大事」とか、 「未来じゃなくて今に集中すればすべてが整う」
っていう理論は、 大事なのは分かってる。(現にイマココリビングってブログ名だし笑。)
でも、なぜかそれを実践してもしんどかったし、心地よくなかった。
ハッピーちゃんの「イマココプログラム」もやってみたけど、
意図は分かるし「なるほど」と思ったけど、
“なんか合わない”“腑に落ちない”って感じてた。(イマココプログラムを否定しているわけでは全くないよ!)
その理由に最近やっと気づいた。
それは、
「自分の中の“思考=男性性”がずっと厳しい声をかけてきていたから」。
「もっと頑張れ」「まだ足りない」「何かしなきゃ結果出ないよ」 って、常に急かしてくる感じ。
そりゃあ、
「今ここにいよう」って思っても、 心(=女性性)はまったく安心できなかったよね。
そこから、わたしの中でしっくりきたのが、
思考=男性性/心=女性性っていう見方。
行動・判断・進めようとするエネルギー=男性性(オレ)
感じたい・癒されたい・安心したいエネルギー=女性性(わたし)
今までのわたしは、
外側にいる“彼氏”に「癒してもらいたい」って思ってたけど、 実はずっと内側の“彼(=男性性)”が厳しかった。

でも最近、 この“内なる彼”の言葉がけをガラッと変えた。
すると、朝の時間も穏やかになってきて、 あんなにしんどかった「お弁当づくり」とか「送り迎え」の時間が、 今ではなんだか安心できる時間に変わってきた。
彼氏に言ってほしかった「大丈夫だよ」「オレがそばにいるよ」っていう言葉を、 わたしの中の“男性性”がくれるようになった時、
やっと“内側が満たされる”ってこういうことなんだ、って体感した。
だからこそ伝えたいのは、 「この考え方が正しいよ」じゃなくて、 「あなたにしっくりくる関係性を見つけてね」ってこと。
わたしにとっての“彼”は、 外側に現れるその前に、 ずっと内側にいた“オレ”だったんだ。
このシリーズでは、そんな「内なる関係性」の旅を綴っていこうと思う。
安心の始まりは、いつも「ここ」にあるから。これが「全て在る」の正体なんじゃないかって思ってる。

