「正しい」って「正解・不正解」とか「しなければならない」の硬い世界で生きていると結構強い力を持つ。

私の「正解」はあの人の「正解じゃない」っていう「あなたはそうなのね〜」ができるようになってきたし自分の意見を他人に押し付けることもかなり減ってきた。

ただ私の闘牛の性格上、1つにハマると一気にのめり込む笑。一つでも「私の正解」と誰かが言っていた「正解」が重なった時、その人の全てが「正解」だと思うようになり、のめり込んでいった。

そして、その人の言っている一つの「正解」が私にとっては「不正解」になった時、この人はやっぱり違う、と全否定(笑)して離れた。

「正しい」という言葉。

ここで気づいた。

だから、他人の正解は私の中では「間違ってる」だった。

過去で私の「正解」だった答えも今の私にとっては「間違い」の場合もあった。その場合、そんな正解にしなきゃ良かったんだよなって過去の自分を否定したりもした。

当時の私にとっては精一杯自分のために選んだ答えであって、当時の私にはそれが「大正解」だったのに。

そしてその「正解」という言葉。好きじゃなくても、そう思わなくても従わなければいけないっていうルールみたいな硬い感じがするのは私だけかもしれない。

正しいってイメージでいうとこんな感じ。1つだけ正解で他は間違いって感じ。

「正しい」ではなく「好き」に変えた瞬間。

そんなガッチガチの観念があった私。

まず「正しい」という言葉が真面目な私のスイッチをONにしていた。

「正しい」=1つだけじゃない、みんな正解っていう観念に書き換えたいと気づく。ただ自分が長年抱えてた無意識に出てくる「正しい=1つ」の考えが浮かんだ時に「そう思っちゃいけない」が出てくるのが私のような真面目・完璧主義タイプの人なのでお勧めしない。

そうするとただの好みの問題であって正解・不正解がないことに気づく。

例えば、コーヒー。ラテが好きな人もいればカプチーノが好きな人もいるし、Hotが熱すぎて嫌いな人はWarmで頼む、みたいにただのその人の好み。

自分がカプチーノが好きだからって、ラテが好きな人に「ラテが好きなんて信じられない!カプチーノにしなさいよ!」なんて言わない。

冬にミニスカートを履いている子はそれが好きでいいと思っているから履いているわけで、寒いし短すぎてみっともないと思う人はその考えが好きというよりは「正しい・間違っている」という観念で話しているのが分かる。

これを自分が絶対正解だって思って人・自分に押し付けてた「お題」に変えてみる。

上のミニスカートの例でもあるんだけど、「好き・嫌い」で考えたら「正しい」「間違っちゃいけない」スイッチが作動しにくい。さらに自分の「好き」が分かりやすくなる。

インフルエンサーが言っていることに対して。

例えば、私が好きなエイブラハム・ヒックス。

私は一度彼らのことを信じなくなった時期がある。それは彼らの言っている1つが私の「間違っている・合わない」に触れた時だった。

当時は誰かを信じることにしたら言ってる全てが真実に違いないと思っていたからなんだけど、今ではその人の言っている私が「好きなとこだけ」を自分の辞書に入れるだけにした。

歌手で考えるとわかりやすい。

その歌手が出している全ての曲が好き〜っていう人もファンだったらいるだろうけど、この歌手のこの曲は好きだけど、この曲は別にかなっていうのがあると思う。

それと一緒で好きな曲だけを自分のサウンドトラックに入れるように好きなとこだけ切り取って自分の辞典に入れたらいいんだと思う。

全部は好き・嫌い。それだけ。