タフティ本の解説。

実は前に書いたものを何回か全部消してから新しく書いている。

なんでかって、私の「真面目」がいつの間にか出ていたのもあるし、理解が深まったのもあるからどんどん変わっていっている。

最初に書いたものは、解説でなく、チャプター1から順にただ「翻訳」していた(笑)。

この本のエネルギーは本当にすごい強い。文面を読み取るよりも体感・エネルギーに働きかけてきていると思う。だから私もそれをしたい。まずは最初のStepから。

Table of Contents

現実とは。

まず、現実とは「今ここ」。今この瞬間のみ。

映画の1コマのようなもの。

この瞬間のみ、なので一瞬で過去になる。

くしゃみをすれば、くしゃみをし終わった頃には、それはもう過去になる。

現実が映し出している景色。

現実で生きている私たちの意識は「今ここ=この瞬間」しかない。

ただ、現実に映し出されている世界は実は「過去に作られたもの」。

私はエイブラハムの表現が分かりやすいのでそこから説明すると、

現実は「オーブンから出てきたケーキみたいなもの」

It’s doneなのだ。焼き終わった陶器みたいなもの。

この形をこうすれば良かったと思ってももう出来てしまったので仕方ない。

今更変えられないもの。

言ってしまえば、1年前に作られたディズニーランドのアトラクションに今この瞬間の意識で乗ってる感じかな。

人生は映画のようなもの。

人生は映画であり、私たちの多くは「誰かが勝手に決めた」台本によって、そこの登場人物として動いている。 この世にいる限り(起きている世界でも寝ている世界でも)映画から出られないし台本通りに動かないといけない。

あなたはいつでも「眠っている」

タフティは「夢を見ている時も起きている時もあなたは眠っている」と言っている。

「今ここ」を生きていない。要するに、自分軸がないままボーッと生きている。決められた台本どおりに動いているのだ。

今ここであなたの意識はどこに向いているか、すぐに言える人は何人いるのだろう?

2つのスクリーン。

「今ここ」で生きれていない時、意識はこの2つのどちらかにある。

大体は目から見たもの(外部スクリーン)で反応してから瞬時に内部スクリーン(自分が受け取る気持ち)に移動してその中にどっぷり浸る。

1 内部スクリーン

考え事にふけっていたり、過去に行ってみたり、未来の心配事をしてみたりしてる時はこのスクリーンを見ている。

私がよくハマる思考で「掘る」という行為もここ(笑)とにかく、脳を使って考える時はここにいることが大半。

このスクリーンにいると周りで起きていることに気づかず、「自動的」に行動してしまう。

考え事しながらご飯食べた時とかって、どんな味だったかとか食感とか全く覚えてない、ただ箸を口に無意識的に動かしただけ。これが自動的。

2 外部スクリーン

外側に意識が持ってかれてる状態。

自分の目から映る世界(現実)を見つめている状態という感じ。

ここにいると反射的な行動をしてしまう。

トイレに入っている時に、外で誰かが待ってると「わ〜早く出なきゃ!」で何も考えずにすぐ出ちゃう、とか反射的。

目覚めるためには

「気づきの中心点」に意識を持っていく時間を増やす。常に入れたら最高。

「気づきの中心点」= 俯瞰・第三者の視点。

内部でなく、外部でもないこの視点を持つのを意識する。

この位置は人それぞれで違うので自分の感覚を頼りにすると良い。

鼻の周りをポンポン軽く叩くとその場所が分かる、と本では言っている。

やってみると分かるけど、ここに常にいるのっているのって結構難しい。

気づきの中心点ってどこ?

私はこの「気づきの中心点」でめちゃくちゃ大きい気づきがあったからシェアしたい。

この内部と外部の間にあるという中心点。

受け取った人の感覚によって場所がもちろん違う。

中心点。(内側・体内)

「気づきの中心点」とは言うものの、私はまず「中心点」にフォーカスして探していた。

そしてタフティの本を読むと、「2つのスクリーンの中間地点」だと言っている。

本当に目で見る外側スクリーンと内で考える内側スクリーン(私のイメージでは頭の後ろの方で考えてる)からその間で

ちょうど「松果体」があるとこが中心点だった。

松果体の場所自体知らなかったんだけど、改めて図で見たら本当に真ん中にあった(笑)

この場所も人それぞれで、まゆみさんの中心点は丹田がある「肚」だという。

私の見解では、この中心点は「自分を内観」する時に意識する場所だと思っている。

気づき。(外側・現実世界)

最初は私は内観するその「松果体」があるその部分を「気づきの中心点」としていたんだけど、これだと私はこう思ったなどの

「内側からの景色」

しか見えないのに気づいた。

そうだ。体を出て外側での点がないぞ。

私の体感では、私という体が内側、そしてガイドやインナービーングが存在している場所が外側だと思っていて、その間が外側での点でそれこそが「気づき」の場所なんだと思った。

「中心点」と思うと「松果体」に意識が向いて、「気づき」と思うと、外側に出る。

私のイメージでは潜水艦が海上にカメラをウィーンって上にあげるような感じで意識も頭から上にウィーンって登っていくイメージがあって、ある程度のとこで止まる。

そこに居てこそ、私を観て、現実を見ることができる。

人によっては後方から、とか前からって人もいるから何が正解、とかなくて自分の感覚が大事。

私のイメージはこんな感じで意識という光が下から上に登っていって上から観ているって感覚。

感覚が分からない時。

タフティは、十分に睡眠がとれている明るい気分の朝に「気づきの中心点」にいる練習を進めている。

昨日は実験したら?と言わんばかりの寝不足の日だった。

その状態で俯瞰地点を探すがよく分からない(笑)。

そこでやってみたのが、自分を三人称で観てみるやり方。内観ってこんな感じ。

何かをやっていて何回も中断が入る時とか(子供とかよくやるよね笑)に、イラついている自分がいるのに気づいたらチャンス。

自分の感情を「私は〇〇と感じている(私は腹が立っているとか)」と心の中で言ってみると私という丸い球の中にいたのに急に外に出る感覚が出てくる。

その場所・位置を感じてみる。そこが私の場合は頭の真ん中で松果体があるところ。

みんな場所が違うのが当たり前。それが中心点。

中心点が見つかったら、次は「気づき」の場所を探す。

私は体の外に出るけど、中に居続ける人もいるのかもなって思う。

次に進む前に(三つ編みとか)

この「気づきの中心点」の感覚が分かっているのが最初のステップ。

ここを抜かすと三つ編みの感覚もよく分からないと思う。

私は中心点→気づきに意識が動いていったから5日くらいはかかったかな。

「気づきの中心点」に常に居た方がいいとは言ったけど、個人的には車の運転中は自分の中、特に外部スクリーンに意識を戻す。