私、かなり真面目で正解探しをすぐしてしまう癖がある。自分がしっくりくるものが正解だって自分でも分かっているのにこの人が言っているんだから私があれ?なんかしっくりこないなあと思っていてもその違和感を差し置いてその人の答えを私に当てはめようとしていた時期があった。(今でも気づかないうちにやってたりする。)

でもね、同じ先生から取っていても人によって解釈の仕方は全く違う。

例えばエイブラハム・ヒックス。私の宇宙理論はエイブラハムが中心。なんでかというと彼らの話を聞くとホッとするからだ。

そのエイブラハムでも理解の仕方は人によって違う。何かに挑戦する場合に怖い〜の場合は、まだ準備ができてないから行動しなくていいって人と、多少の怖いだったら流れに乗ってるってことだったら抗わずにやりなさいっていう人がいる。

どっちが正解か?

答えは、「自分が」ホッとする方。

そう。よく私たちって意見が違うとこの人が間違っている、この人は合っているってジャッジするんだけど、みんな体感からの自分の正解をシェアしているだけなんだよね。私の正解は必ず誰かの不正解でもある。

だから世間一般に「正解」と言われていることや「宇宙理論」とかでも「これをやったらOOになるからやってみて」っていうものがよくあるけど、それをやってみて「自分が楽にならない」んだったらやらない方が合ってる。自分が義務感になるものは全部捨ててしまった方がいい。

私も昔、「でもこれで良くなるなら合わないけどやり続けたら結果出るかな?」とか意味不明に自分が楽しくないって言ってるのにやらせてた時がめっちゃある。結果は楽しくないから続かないのと、またできなかったっていう自己否定。オイっ!て言いたくなるよね笑。

自分に合わない靴を履いたら靴擦れになって痛いよね?痛かったら合う人にあげたらいい。あなたはそれを履かなくていい。もっと自分に優しくなっていいんだよ。