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目的地(ゴール)を設定・意図する。

タフティでもエイブラハムでも他の願望実現メソッドでも共通して言っていることは

目的地の設定。

要はどんな理想の状況がいいのか、を意図する。

意図しないと焦点が定まらないので行くに行けない。

ただし

そのゴールまでの行き方はごちゃごちゃ指定しない。(これを来た流れに乗るという。)

エイブラハムの言い方で言うと、

What(何が)Why(どうして)欲しいのかは意図するけど、

How(どうやって)はお任せ。

なぜならHowは私らの仕事じゃないから。

私がハマっていた罠。

私がWhatの部分だと思っていたのに実はHowだった、ということがあったのでシェアしたい。

私の夢の一つに、

着物を着て、その場に集まった人たちを何かしらの方法で癒す・現実創造の手助けをする

というものがずっとある。

その「何か」は「何」だから私にできることが何だろう、とずっと探究してきた。

でもその度に「わからない。。。。」と嫌な気持ちになっていた。

Howの罠。

一見、「何」にフォーカスしているようにも見えるこの夢、

ゴールは

「人が癒され、願望がどんどん叶い幸せになるのをお手伝いして、やった!私にもできた!幸せになったよ!ありがとう!っていう姿が見たい。役に立てたんだ!っていう幸せに浸りたい。」

のであって

「何を提供してその人たちの役に立つか=どうやって役に立つのか。」はHow・どうやって、にフォーカスしているんだよね!!!!!

「どうやって」の罠にハマっている時は「ん〜〜〜。わからない」って体が硬くなる体感がついてきてるはず。

まだその先に本当のゴールがある。

なぜこんな事が起きてるかというと、

「そこは経由地点であって自分が見えている最終地点じゃないから」

めっちゃ大事だから文字を大きくしてみた笑。

例えば。

「アカデミー賞で新人俳優賞を取りたい!」という夢があるとしよう。

しかしあなたはまだ俳優ではない。

その場合、多くあるのが

俳優になったところを目的地として決める。

色々なドラマをやったり映画の撮影をしている場面だ。

それをイメージしているとふと思う時がくる。

「何の映画に出たら、俳優賞を獲れるだろう?」

そして、頭で考え出す。有名な監督が撮る映画だろうか、いや違うぞ。こんな内容の映画なのかもしれない。と。

一見「何の映画に出たらいいか」の「何」にフォーカスしているかと思いきや、実は「どうやったら」賞を獲れるかにフォーカスしている!

自分がでた映画で人を感動させる、という場合でもそうだ。最終ゴールは

人を感動させる

ということだけど、

何の映画に出て〜は

どうやって人を感動させるか?のHowにフォーカスしていることになる。

高すぎる望みは抵抗が出る。

私たちには左脳(エゴ)があるので、あまりに今の自分のエネルギーの器とかけ離れていると抵抗が出てくる。

特にエネルギーが増えれば増えた分だけ大きい器が必要になる。

エネルギーが増える、というのは人数が増えるとか場所がでかいとか。自分のエネルギーの器が増えればHandleできる人数・スペースも増える。

私はこれは無心になっている時間(没頭している・ゾーンに入る+左脳が正常に戻った場合:エゴが極力少ない状態)が多ければ多いほど、器を広げるチャンスがどんどんやってくるのではないかと思っているんだけど、今すぐ出来ることは、

1)本命の最終目的を設定した後で

2)抵抗を感じた場合には「緊張状態になる・体が硬直した感じ」

3)途中の通過地点を設定する。

間違っても自分には無理ってことだって言って本命が実はあるのに、通過地点をゴールにしないこと。

ただ歩幅を小さくしてみるだけ。最終目的地は変えない。

存在しないものはまず私たちは欲しくならない。

あるから欲しいのだ。

私の中に宇宙旅行の夢は存在しない。だから別に行きたくないし、そこに行っている人がいたとしても羨ましいぜ〜と嫉妬心も起こらない。

宇宙旅行が当たりました!と言われたら、いいです、他の人にあげてください、と言うだろう笑。

だから欲しい・なりたい!と思った時点でその未来は「在る」のだ。「エネルギーの世界にはすでに在る」から欲しい。

だから諦めないで欲しい。大丈夫。