「過去を変える」とは事実を変えることではなく、その事実に対しての「自分の見方」を変えること。

昨日再放送でやっている「ミステリと言う勿れ」のドラマの中でハッとした言葉があった。

サインはどこにでも転がっていて、自分に刺さる言葉とか「ん?」って一回止まることは全部そう。

その言葉をまとめると

「事実は1つしかない。でも真実は人の数だけある。」

同じ事実を見てもそれを見た人の見解は全く違う。

「飴が地面に落ちている」という事実がある場合、

小さい子供がいるお母さんは、あらあら子供が落としちゃったのかなと思い、

地球環境を気にしている人は「ゴミを落としたまま拾ってない!」と怒りを覚えるかもしれない。

それによってその事実を喋るその人の口調は違ってくるだろう。

私の前の記事にも書いたんだけど、真実って自分の中の正解。それって世界に1つだけって信じている人がいるように思う。事実も1つ。その見解も1つ。

そう信じていると生きにくい。だってその1つの見解じゃなかったらどうしようって自分の意見が正しいかどうか自分がジャッジし始めるから。

兄弟喧嘩とか見てると本当によく分かる。喧嘩という同じ事実があるんだけど、兄も弟も全く違う言い分がある。違う意見だけど2人とも嘘をついているわけじゃない。

今回、子なしで日本に帰ってきているこの時に私の過去が変わった出来事があった。

事実は変わらないけれど、それに対しての私の中の真実が変わった。

幼少期から握りしめていたものだったのでかなり大きいものだった。

次から書き始めます。