私は長らく、自分を後回しにして
「いい人」でいようとしてきた。

嫌なことを言われても、波風を立てたくないから黙っていた。
大切にされていないのに、約束を守ろうとして無理に会ったこともある。

でも、そんなふうにして会っても、心は全然満たされない。
むしろ、「適当に扱われている」っていう感覚だけが残る。

その時に私は決めた。
自分のために、嫌なことをされたらきちんと伝える。
それでも改善されないなら、静かに離れる。

自分を大切にしてくれない人に、いい顔をしなくていい。
自分の心がドアのロックだとしたら、
心の中をかき乱すような人に鍵を渡す必要はない。

私は、こう決めている。

「私はこういうふうに私を大切にしてくれる人にだけ、鍵を渡します。」

それ以外の人には冷たくする必要はないけれど、
深入りしなくていい。知り合い程度の距離でいい。

そして、ちゃんと大切にしてくれる人に鍵を渡す。
その人のことを、私もちゃんと大切にする。

それを繰り返していると、
気がつけば「心地良い人たちに囲まれている」って感じる日がくる。

私はこれを、元旦那に対してずっとやっていた。

彼は、自分の楽しみを最優先する人だった。
息子の歯の手術が必要だった時、彼は趣味のカーレースを優先して
「手術日を自分がいない日じゃなくしてくれ」と言い張った。

当時の私は「必要な時に隣にいてくれる人と家族になる」と決めていたから、
「自分が変われば、相手も変わる」と信じて、自分に働きかけた。

もちろん、それで変わる部分もある。
でも──

そもそも相手が「そういう家庭を創りたいと思っていない」場合は、
どれだけ自分を整えても、そこに幸せな家庭は生まれない。

「鏡の法則」はたしかに存在するけれど、
そこにはもう一つ、**“相手の意思”**という要素もある。

だから私は今、
「本当に大切にし合える人」と新しい現実を創ろうと決めている。

この世界には、ちゃんと大切にしてくれる人がいる。
家庭を大事にする人がいる。
自分だけじゃなくて「私たち」で創ろうとしてくれる人が、いる。