シリーズ|Space Whispererノート
空間が語りかけてくる時がある。
見えないのに、たしかにそこに“何か”があると感じる瞬間。
私はそのささやきを「Space Whisperer(空間のささやき手/空間師)」と名づけました。
このシリーズでは、
今ここを震わせる空間をつくるプロセスや、
その中で生まれた気づきや変化を綴っていきます。
整えるということが、
どれほど深く、優しく、人生を支えてくれるのか。
写真の美しさではなく、言葉の静けさで届けるシリーズです。(これも空間の一部)
どうか、あなたの“今ここ”が、少しでも心地よくなりますように。
「もっと自己中に生きていい」──
それは、周りを振り回すことじゃない。
**“自分に正直であることを選ぶ”**という意味だった。
昔、「自己中と自己優先の違い」という記事を書いたことがある。
でも、恥ずかしながら私はその境界線を、まだ自分の内に持っていなかったのだと気づいた。
何故か。
今ならよく分かる。
私はスペースウィスパラー。
空間を通して、その人が何をしてほしいか、何を求めているかが、体感で入ってきてしまう。
それはギフトでもあるけれど、自分より他人のニーズに応える生き方を選んできてしまった理由でもあった。
だって、分かっちゃうんだもん。
昨日、あるセッションで私の中の根っこが照らされた。
それは…
「人の正解と自分の正解をすり合わせて、妥協したものを“自分の正解”にしていた」
という無意識の癖。
一見、対等や調和に見えるこのやり方。
でも実際には、自分の境界線を狭めて、相手を中に入れてあげているだけだった。
それは“他人軸”という名前の優しさの仮面だった。
たとえば最近あった出来事。
友人から、毎日大変なジャックラッセルのデイジーを預かってほしいと言われた。
ペットシッターの代役が必要で、私に依頼が来た。
何回か面倒見たから分かるけど、まー大変。
「相手して相手して」を何度も言いにくるし、ジャンプ力があるのでテーブルの上にまで乗ってくる。
散歩の際は、通りすがりの人すべてに吠える。
というデイジーという犬を知っていたので、
直感は「え!やだな。デイジー家にくるの。」だった。
しかし──
当時の私はこう思った。
「誰も他にやる人がいないし、うちのココとも仲良しだし、私がやるしかないよね」
「“流れで来たものは一旦受け取る”ってよく言うしね」
この「受け取る」。
いろいろな解釈がある中で、
私は “受け入れる・オッケーする・やってみる” の受け取るをやっていた。
でもそれは、自分軸がなくなる要素のひとつだと、今なら分かる。
受け取る本来の意味は
「認識する」「在るのを知る」こと。
そして、「自分はどう反応してるかを“観て”、心の中に“響くもの”があるかどうかを確かめる」こと。
ここまでが、実の受け取る。
💡まとめると:
受け取る=やる、じゃない。
💡受け取るとは、その出来事を“観る”こと。
在るのを知り、「自分の内側に響くものがあるか」を感じること。
そして、その響きが自分の中でYESとして震えるのか。
震えなければ、それはNOなのだ。
自分の中に“YESの震え”がないものを
『ありがとう、でもそれは違う』って返せることは、
本当の意味での自由と調和。
でも私は、内側が「えー別にやりたくないんだけど」と言っていても、
流れで来たし、誰もいないし…で受け入れていた。
これは本当の受け取りじゃなかった。
ただの妥協。
ちなみに、何も知らない状態で「怖いから」「面倒だから」と断るのはまた別。
それは**観てもいない・響きも感じていない状態の“スルー”**で、
フワスピ的な「なんとなく避ける」になってしまう。
▶︎デイジーの例で話すと:
デイジーという犬がどんな犬か知らない状態で、
「ペットシッターやってみてもいいかも」という思いがあるのに、
「なんか面倒だな」で断るのは、違うってこと。
でも、一度コントラストを経験して
「これは違う」「嫌だ」と自分の中で感じきったことがあるなら、
それと同じ振動の出来事は、断っていい。
元旦那との関係もそうだった。
「自分の週末なのに予定を勝手に変えられる」
「しかもそれを当然のように頼まれる」
前なら「子どもが可哀想だし…」と飲み込んでいたけど、
本当はずっとモヤモヤしてた。
→ それがコントラストだった。
だから次に来た時は、
「ありがとう。でも私は今回は断る」
これでいい。
相手に悪い、とかではない。
私の内にYESがなかったから。それだけ。
以前の私は「Win-Winってこういうことだよね」と、
お互いの希望を少しずつ削って、中間を取ってた。
でもそれって、誰も本当には満たされてない世界。
私は今、信じてる。
私が「妥協のWin-Win」を手放すと、
心からYESを共鳴する人に出会える。
そして彼らは、
私がYESを出せなかった“その仕事”や“その役割”を、
目をキラキラさせながらやってくれる。
それが本当の意味での調和であり、宇宙の循環。
もう、私はここから生きる。
YESの震えがあるほうへ。
NOもYESも、どちらも正直に感じきる私で。
空間は、写真だけでできているわけではない。
言葉もまた、震える場を生み出す“ささやき”になる。
このシリーズでは、その静かな声に耳を澄ませながら、
言葉という空間で、あなたと繋がっていけたらと思っています。