シリーズ|Space Whispererノート

空間が語りかけてくる時がある。

見えないのに、たしかにそこに“何か”があると感じる瞬間。

私はそのささやきを「Space Whisperer(空間のささやき手/空間師)」と名づけました。

このシリーズでは、
今ここを震わせる空間をつくるプロセスや、
その中で生まれた気づきや変化を綴っていきます。

今回の記録は、
わたし自身の「怖さ」と向き合いながら、
“いい人”をやめて、自分の自由と境界線を選び取ったプロセス。
震えながらも、それでも選んだ「自分を守る」という道について綴りました。

整えるということが、
どれほど深く、優しく、人生を支えてくれるのか。
写真の美しさではなく、言葉の静けさで届けるシリーズです。(これも空間の一部)

どうか、あなたの“今ここ”が、少しでも心地よくなりますように。

前回の記事では、
震えながらもチャイルドサポートに電話をかけ、
“自分を守る”という選択をしたことを綴りました。

今回の記録では、その背景にあった
“前の私”との決定的な違いについて、少し深く掘り下げていきます。

「前の私だったら…」という、昔との決定的な違い。

前の私は、

「相手が困るなら仕方ないよね」
「波風立てるくらいなら、こっちが我慢しよう」

そうやって、自分を小さく畳んできた。

でも、今回は違った。

「それでも、私は受け取る側として正当に扱われるべきだ」と、
心の奥から感じたから。

「それが優しさだと思ってた」──でも、それは違ってた。

優しさという名の我慢。
それは本当に、優しさだったのかな?

本当は、

「怖いから言えなかった」
「私のせいで、と言われるのが怖かった」

だけだったのかもしれない。

境界線がなかったから、“都合のいい人”になっていた。

私は私の選択をしようとしているのに、

向こうが自分の都合のいいように決めてくる。

その通りにしなければ、「脅し」がくる。

そして、
「自分は善人なのにお前はそんなことをするのか」
という罪悪感を植え付けてくる。

それは、優しさじゃない。

完全なる“支配”だった。

自由な選択を奪う人を、“優しい”とはもう思わない。

人の“自由”な選択を奪ってくるその態度は、
優しさでも、愛でも、信頼でもなかった。

それを見抜けずにいた私も、今ならはっきり言える。

「これは違う」と。

「これは違う」

そう思えた瞬間が、私の中の小さな革命だった。

でも、本当の意味で“私を守る”ためには、

「分かった」だけでは足りなかった。

境界線については、仁王さんの言葉で“理解した”。
でもそれを本当に腑に落とすには、「行動」が必要だった。

だからこそ、
このタイミングで“ラスボス”が登場したんだと思う(笑)。

実際に「自分を守る行動」を取って、
はじめて“理解”が“確信”に変わった。

次のパートでは、
「自己愛」という名の境界線について綴ります。